低い自尊心と不寛容の心理

コラム

ネット上の誹謗中傷で若い方が亡くなりました。

人を簡単に傷つける今の日本の風潮におそろしさを感じます。

そこで今回は、自尊心と不寛容について考察します。

この記事を書いた人:心理学学士のWebライター・ひまり(専門は対人関係)

自尊心とは

心理学では自尊心をSelf-esteemといいます。

“ありのまま”の自分を受け入れて、大切にできる心理です。

「ありのままの自分を受け入れるのが難しくなってきている」とひまりは感じています。

「自尊心が低い若者が増えている」と指摘されることもありますが、

ひまりのようなシニアにも

自尊心が低い大人は一定数いると思います。

自尊心を育てるもの

心理学では、幼少期に親や祖父母などからその存在を愛され許容されることで

自尊心が育つと考えられています。

親の適切な愛情を十分に受けた経験がベースになって、

子どもは「自分=大切なもの」と信じられます。

親が大切にしている「自分」だからこそ、価値があると思えます。

自尊心の獲得をはばむもの

1.親の「愛情」が不十分だったor過剰だった

2.親の機嫌が良い時はほめて、そうでないときはほめない

3.「あなたのため」と言いながら、自分のための「愛情」

4.精神的・心理的虐待

このような状況では、自尊心はうまく育ちません。

通常、小さな子どもは自分が他人より劣っている、なんてことは

あまり考えません。

ところが、兄弟ができたり友達が増えたりすると比較対象ができ、

〇〇ちゃんはできるのに、などと言われる機会も増えます。

親の態度によっては「自分は愛されていないのではないか」と不安になります。

特に虐待を受けると、

「親が怒っているのは自分が悪い子だからだ」と感じやすいといわれます。

これでは自尊心が育ちません。

ひまりは長女で、いわば弟のシッターのような存在でした。

長年、弟は大切にされていていいなーと思っていました。

プライドとのちがい

自尊心としばしば比較されるものがプライドです。

プライドは心理学用語ではないとされます。

プライドは、「自分が人よりも優れている」と思っている状態です。

自尊心は、自分の内部から生まれてくる心理ですが、

プライドは、なんらかの成功体験や称賛を受けた経験によって芽生え、

育っていくものと考えられます。

プライドの高い子どもは、あまりいませんよね。

幼い頃から特別な能力な認められた、

親に根拠のない称賛を与えられたといったケースでは、

プライドが育つ場合があるでしょう。

プライドは心の鎧

プライドは心の鎧のようなものだとひまりは思います。

自尊心を守るために、成長とともに身に付けていくものがプライドです。

プライドは人との比較から生じるものなので、

常に揺れ動き不安定です。

傷つきやすくてもろい自尊心の人ほど、鎧は硬くなりやすいようです。

プライドが大きく傷つけられると、

自分を守るために逆上・反撃してくる人も少なくないですね。

ひまりの場合

ひまりは自尊心が低く、仕事でほめられても、すぐに不安になるタイプです。

自分に価値があると確信できないため、

裏切られたり嫌われたりするのではないか、とおそれるあまり、

すぐに自己防衛の態勢に入ってしまうのだと思います。

不寛容とは

寛容は、異なる価値観を持つ人を受け入れることです。

不寛容とは、自分と異なる価値観の人を受け入れられない心理です。

子どものイヤイヤ期とは

2歳を過ぎた子どもに起こりやすいイヤイヤ期は、

自分の心に沿わないものごとに直面したときに起きるとされています。

いわば、自我の芽生えですね。

「したいことが上手にできなくてイライラする」

「気持ちのモヤモヤを上手く言葉にできない」といった心理です。

イヤイヤが言える子どもは、

イヤイヤを言っても許される環境にあるとも言えます。

思春期とは

いわゆる思春期とは、自分というフレームがしっかり作られる時期です。

自分が好きなもの、嫌いなものが明確になり、

親と自分は違うという気持ちが鮮明になります。

親から自立する時期ともいえますが、

今の社会では思春期の頃に経済的に自立するのは容易ではなく、

葛藤が深まる場合もしばしばです。

フレームのバージョンアップ

中学校・高校など似たバックボーンを持つ集団にいるうちは、

他人との意見の違いがそれほど明確ではありません。

大学や社会に出ると、さまざまな人がいることに気づきます。

自分のフレーム、自分の価値観は揺れ動きますが、

異なる意見を自分のフレームに取り入れていければ、バージョンアップできます。

不寛容な人の裏にある弱い自尊心

不寛容な人は、自分の価値観をがんこに守る人、バージョンアップを嫌う人です。

異なる意見に接すると、

弱い自尊心を攻撃されているように感じてしまう人もいます。

ひまりの夫がかつてそうでした・・・(小声)

日本は島国なので、似た者同士の巨大な集団ともいえます。

「みんな同じ」が当たり前で、異なる価値観への寛容性は高くありません。

昔から村八分はあり、狭い集団に入ってくるよそ者は警戒されます。

同一の教育が全国で実施され、集団行動を強いられます。

いじめが起きても選べる選択肢は限られ、逃げ場がありません。

不寛容を熟成しているような社会だとひまりは思います。

誰でも余裕がないと不寛容になる

ストレス社会といわれる今、心に余裕がない人が増えています。

人に優しくできるのは、自分に余裕があればこそ。

寛容な人でも余裕がなければ不寛容になります。

フレームの再構築はエネルギーのいる作業なので、

疲れているとき、嫌なことがあったとき、

とりあえず今の自分を守るために、人は不寛容になりがちです。

アフターコロナに向けて

仲間同士でワイワイしたい人、会社に行きたい人は、

対策をとったうえですれば良いと思いますが、

テレワークやオンライン学習が向く人にも選択肢を作って欲しいと思います。

一斉休校やテレワークで、学校や職場のいじめから逃れられた人もきっといます。

違う意見の人、違う働き方・学び方も受け入れられるような社会に変わることを願います。

自国第一主義が加速する今だからこそ、意識したい問題です。

また、多様な働き方を推奨するなら、

多様な働き方を選んでも経済的に困らないようにしてほしいです。

コロナショックで会社員や公務員の安定性が鮮明になりました。

子どもの夢がスポーツ選手やお菓子屋さん、お医者さんではなく、

会社員や公務員になってしまうのではないかと、ひまりは思います。

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